リュシアン・デルリュー

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Lucien DELRIEU

リュシアン・デルリュー

1908年1月28日ニースに生まれる。父アルフレッド・デルリューが、デルリュ−楽譜出版社の創始者(1898年創業)だったので、幼少時より音楽的環境に育ち、第二次世界大戦以前の巨匠達に身近に接していた。というのも、デルリュー楽譜出版社のニース本社は2つのコンサート会場を備え、活気に満ちた雰囲気のもと、二十世紀初頭より第二次世界大戦頃迄、コートダジュールを訪れる音楽界の巨匠達の集結の場であったからである。リュシアンは父アルフレッドのもと二人の兄弟と共に14年間程に渡って出版社で働く中、コルトー、イーヴ・ナット、ホセ・イチュルビー、シャリアピン、カルーソ−、カザルス、ルービンシュタインなど著名な音楽家達と出会った。彼自身ピアニストとしては、パデレフスキーの直系弟子であるポーランド人ピアニストのアルベルト・タドレフスキの弟子となり、ハーモニーをE.ロヴレリオに学んだ。又作曲を、かつてモスクワのコンセルヴァトワールの同じクラスでラフマニノフやスクリャービンと肩を並べて共に学びリムスキー・コルサコフ、タネイエフやズヴェレフに師事したロシアの作曲家レオニード・サバニェイエフについて学んだ。

ところが1936年に訪れた父アルフレッドの尚早の死によって、約束されたかに見えたリュシアンの人生が根底から崩れてしまう。母が、会社及びすべての遺産を長男のみに相続した結果、その長男により出版社からのみならず家族そのものから不当にも一文無しで追放され、これらすべての事によリ、リュシアンは深い鬱病に陥り彼の人生の中で非常に暗い六年間を向かえる事になる。

戦争中でもあったこの時期に、彼のほとんどのクラシック作品が生み出されており、それらの中には、ニース地方をはじめとするフランス、スペイン、ロシア更にはアジアに迄及ぶ多文化のインスピレーションを受けて生まれた作品も含まれる。又ピアノのみならず、その他の楽器やオーケストラのため等、情熱と深い精神性に満ちた個性的な作品が残されている。この中には、ピアノとチェロのためのソナタ(ピアノソロ用に自ら編曲)、ピアノとオーケストラのためのコンチェルト、宗教音楽作品、歌曲、シャンソン等が含まれる。交響曲も作曲しているが、残念なことにこれは紛失してしまっている。シャンソンでは、後に妻となったジャクリーヌ・ロワイエやJ.B.リオセッコ、フランシス・ガグ、ジャック・ドゥエ、ロベール・シャルーと協力して作詞も行なった。ジャズピアニストのアラン・ロマンスが演奏に、そして当時有名なシャンソン歌手のジャン・ルミエールとフランシス・ガグが歌手として録音に参加している。大戦下から1940年代後半まで、非占領地域(フランス南部)がドイツに占領される以前のラジオ局に勤務し、ラジオ・ニース局で、音楽と詩の番組を制作した。終戦近くにはこのようにしてリュシアンは精神的な打撃から徐々に回復の兆しを見せ始めた。

彼は、作曲家兼ピアニストであるのみならず、画家でもあり、中国や日本の絵画に霊感を得て、多数の作品を描き、当時1960年代においてフランスの新生と活力の象徴であったフランス客船 »フランス号 »の内装もてがけた。又、客船の進水式用に »フランス号甲板上での夢想 »という題名の作品も作曲した。

そして、1978年11月18日、ニースにて、心臓発作により突然この世を去った。